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美麻村の誕生;
美麻村に人々が住み始めたのは、今からおよそ8000年前。縄文時代のことだと言われている。狩猟中心の生活から農耕へ。弥生時代には稗、粟、豆類、水稲の栽培が始まり、古墳時代になると稲作の発達にともない、米を蒸したり炒ったりするための道具として土師器の壺が作られるようになった。(平成4年美麻村村政要覧より)
明治8年の合併
明治政府は廃藩置県に先立って、中央集権的地方自治を確立するため、明治4年4月、戸籍法を定めた。この事務のためにに7〜8カ村をまとめて区とし、各区には戸長も置かれた。
やがて戸長は戸籍事務以外の土地人民一般事務も取り扱うようになる。明治5年4月9日、庄屋、名主の制度は廃止され、戸籍編成を目的として設置された区で実質的には一般事務が行われ、まもなく一般地方行政区(村)の役割を演ずることとなった。この様な情勢の中、1つの区(第11大区8小区)であった旧7ヵ村の大塩村・切明新田村・二重村・新行新田村・青具村・千見村・高地村は明治8年に合併され、美麻村が誕生した。(美麻村の100年より)
明治9年の村誌
明治9年(1876)年、筑摩県は長野県と合併、新しい長野県となった。できたばかりの県では、県下の情勢を知ることが急務で、幾度となく県下各町村の情勢を下問している。
それに答えたのが村誌で、記載の内容は、村域・地勢・戸数・人口・産物・民業・交通・寺社・名勝旧跡その他である。
村誌最初の記事 [#i98bb6f4]
村誌
信濃国安曇郡矢原庄に属し慶安の頃大町組に属す
大塩 二重 切開新田 高地 千見 青具六ヵ村
たり その後寛文五年二重大町両村地内より
新行新田分村す 明治五年四月大町組の称を廃し
十一大区八小区と改称す 明治八年二月右七ヵ村
合併して一村となり本村の称に改む。
明治22年4月1日 美麻村は新村として出発
- メイノ遺跡から出土した縄文時代の土器が山岳博物館にあると思います。写真を載せたら良いと思います。 -- takeyama 2006-11-09 (木) 16:15:53
- 原文のまま載せただけです。修正、写真の掲載などよろしくお願いします。 -- おおつか 2006-11-09 (木) 18:53:54